村人の手記・証言/戸坂村の人たち

3.当時の村役場での仕事

当時は役場に勤めていたので、役場に行く支度(したく)をして外へ出たと思うと、空がピカッとったので急いで家に入った。同時に爆風(ばくふう) が来た。みると、天井(てんじょう)はみなめくれ、障子(しょうじ)は倒れ、南側の障子のさんは皆ふっ飛んでいた。おばあさんは縁で縫物をしていたが、右手に小さい火ぶくれができていた。

めちゃめちゃになった家を片付けようと思っていたら、役場から呼び出しがあった。役場に行く途中、着物はボロボロになり、髪の毛が焼けた人が、田に引く小川で水をすくって飲んでいるのを見た。役場の近くにはすでに多くの人が詰め掛け、道には人が倒れていたので、その人をまたいで役場に行った。

当時役場は小学校の隣にあった。運動場のはしがイモ畑になっていたが、そこに人がいっぱい転がって「水!水!」と言っていた。

さっそく、柳の木の下で、受け付けを始めた。受け付けは住所、名前、年令を聞いた。口をきける人は皆受け付けた。6日の4時半〜5時ごろまで受け付けた。必死でしていたので、暑さを忘れ、気が付いたら頭が熱くなっていた。昼から来る人は臭気(しゅうき)がひどく、手や唇のたれ下がっている姿をした人が多かった。衣服がひきさかれ、たれ下がっている姿をした人がぞろぞろ続いた。来た人は学校へ着くなり、そこらじゅうに寝転んだ。

家へは、2人の見習(みならい) 士官(しかん) と6人の軍人をあずかった。翌日から、朝・昼の食事の世話をし、病人の看護をしながら、役場へ出かけた。

7日から2〜3日間は、学校に寝ている人で、受け付けを済ませていない人の受け付けをしたり、見回ったりした。教室の中を「殺してくれ。殺してくれ」と言って走りまわっていた人もいた。皆、「水をくれ」と言っていたが、水を飲ませてはいけないと言うことだったので与えなかった。農家の人が、キュウリをすった汁をつけに来て下さった。あまり傷も負っていない男の子が2人いたので、親と来たのかと聞くと、だれかについて来たと言っていたが、いつのまにかいなくなった。市内から身内(みうち)を探しに来た人も多かったが、台帳が役に立った。

家の病人の1人(見習士官の1人)は、ケガがひどく、食事も1人でできない状態だったので、食べさせた。毎日着替えをさせたが、体にくっついて、ぬがせられなかったので、オキシフルでぬらして着替えさせた。

当時婦人会(注・愛国婦人会の中の国防婦人会) は、すぐ、総動員し、学校の方で、たき出しを手伝ったり看病をした。

下田 登与野(しもだとよの) (当時・役場職員) 話