2007年05月29日

朗読劇版 「禎子と千羽鶴」~A Thousand Cranes ~再演決定!

日時 : 6月3日日曜日6時半開演
場所 : 鎌田区民センター第一会議室(東京都世田谷区鎌田3-35-1 → 地図) close map [x]
出演 : ノリコ、小谷真一、山崎陽子、百瀬百華、登坂俊晴、登坂敬晴、黒澤柚菜、佐藤綾花、竹内ひまわり
音楽 : 芳賀一之
チケット : 大人1,000円、子供 500円
Red Cranes が続けてきた「禎子と千羽鶴」が今回は世田谷区のNPO、SAPさんのチャリティーコンサートにて再演が決まりました。素晴らしいピアニストの方のコンサートとの競演です。

今回は4人のアクターと世田谷区の5人の子供達が出演します。そして若きミュージシャン芳賀一之くんがオリジナルの伴奏を付けてくれます。

この公演の収益金は全て、世田谷区の放置自転車をアジアの恵まれない地域へ輸送するための費用となります。客席数に限りがあり、満席の場合は立ち見の可能性もございますがご了承ください。お早めにご予約いただければ、お席を確保できるように努力させていただきます。

皆様、ぜひ、これを機会に地域との演劇コラボレーションを楽しんでください。
⇒ お席のご予約はこちら

2007年05月25日

Marimbistas Festival Mexico in Chapas 2007/4/25~29

マリンバを通じて「ヒロシマ」を伝え続けておられる古徳景子さんからメッセージが届きました。古徳さんはHSOのメンバーである村上啓子とともに日本国内外で村上の被爆証言を交えながら演奏活動をされています。
古徳景子ホームページ
http://kotokukeiko.com/
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マリンバ奏者の古徳景子です。

いかがお過ごしでしょうか、お伺いいたします。

私はメキシコへの演奏旅行から戻って参りました。
それから、はや3週間経ちましたが、いまだ余韻から覚めないでおります。

メキシコはマリンバの聖地でした。今回、マリンバ・フェスティバルが開催されましたチアパスでは、マリンバミュージアム、マリンバレストラン、マリンバ公園と、何でもかでもマリンバと名付けてあります。当然ながら、メキシカンマリンバの音色が何処からでも聞こえてくるのです。

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4月25日から29日まで開催されましたマリンバ・フェスティバルには、世界各地から高名なマリンバ奏者が7人招聘されていました。そして、名誉なことに、私がフェスティバル最終日の大トリを務めさせて頂きました。

人類は歴史から学ぶべし、ヒロシマを繰返すな」との思いをこめて、私が作曲した「学GAKU」の演奏の前に、被爆者・村上啓子氏に「私のヒロシマ」を語っていただきました。
通常のコンサートでは考えられない破天荒な試みでしたが、聴衆の方々は理解して下さったようで、曲が終わると一瞬の静寂の後、惜しみの無い拍手が沸きあがり、Standing Ovation につつまれました。会場は1200人の座席に加え、通路にも人が溢れておりました。
何と言いましても私自身がとても気持ちよく演奏出来たことに満足しております。

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「今回のフェスティバルでは、メキシコの人々の音楽の楽しみ方を学びまして、私の感性にプラスになったと実感させられました。
これも、サポートして下さる方々のお蔭と感謝の気持ちでいっぱいです。

これらのことは、後日 ホームページに詳しく記載しますのでご覧くださいますよう、ご案内申し上げます。
余談ですが「タコス」は最高でした!

6月17日から7月の始め頃まで、アルゼンチンで開催される打楽器フェスティバルに招聘されております。
心身ともにコンディションを整えて存分の演奏をするつもりです。
変わらず、ご支援のほど、よろしくお願い申し上げます。


                    古徳景子


2007年05月22日

戦争は最大の環境破壊

堀江 壮 (寄稿)

私は4歳10ケ月の時、広島市の西区己斐小学校の近くで被爆した。
2003.7.8.の朝日新聞朝刊によれば、己斐小学校の校庭では当時数千人の人たちが真夏の暑さの中、約1ケ月の間にわたり荼毘にふされたとのこと。私はあの時のすさまじい異臭をけっして忘れることが出来ない。

もっと悲惨な被爆体験をもつ多くの方がおられたので、私は被爆体験を話すことはしなかったが、己斐小の古いロッカーから私のも含めて当時の5・6年生の書いた原爆についての作文が見つかり、2002年8月6日己斐小のピースメモリアルセレモニーに招かれてから私は平和運動を始めた。

振り返ってみると戦後独立以来、広島・長崎はもちろん日本国中で様々な平和運動がおこなわれ、私自身もデモ行進・署名運動・毎年8月6日平和公園で「世界の命=広島の心」の合唱、原爆ドーム前でのアピール等様々な運動に関わってきたが残念ながら効果はなんらあがっていない。長年にわたり世界中からたくさんの政治家・一般市民が広島長崎を訪れその悲惨さは認識しているはずなのに、むしろ最近の世界・日本の動きは以前よりキナ臭くなっている。

原因は世界中で戦争で利益を得ている人があまりにも多すぎることだと思う。もちろん原爆の悲惨さを語り継ぐことは大切なことだが、原爆の悲惨さを訴えたら
・日本は米国の核に傘にはいっているではないか。それなのに反核運動とは?
・貴方の国は私の国をだまし討ちにしたではないか?原爆により100万人の米兵の命が救われた。
・貴方の国の軍隊も中国その他でひどいことをしたではないか?
・不幸にも罪の無い人々が犠牲になったがそれは当時の日本の指導者が悪いせいだ。
こんな反応があったら、どう答えられるだろうか。悲惨さだけを訴えても議論はかみあわない。

私は原爆の悲惨さをアピールする以外に核実験を含めて戦争がいかに環境を破壊しているか、資源を浪費しているかをもっと世界に伝えるべきだと思う。戦争に勝っても負けても、環境の悪化の影響は同じように受けるし、浪費して資源が少なくなればますます国家間の争いは大きくなるだろう。
・世界の環境破壊の原因の30%は戦争に起因する。核汚染の影響は計り知れない。
・米国の最新ジェット戦闘機F22の値段 151億円
・米国は5%の人口で26%の石油を消費しその最大の使用者は米軍
・湾岸戦争では1日1200億円の戦費は使われ、640ケ所の油田が6ケ月にわたり燃やされ立ち上がる黒煙は周辺諸国から太陽を奪い、例年より気温が10度低下した。
・平成16年度広島市の年間予算は5321億円、イージス巡洋艦1隻の値段は1357億円
気をつけていればいくらでも、いかに戦争が人類にとって無駄なことか情報が目につく。

原爆の悲惨さを語り継ぐことは伝言ゲームではないが、その悲惨な実態は経験した者しかわからないし、もう30年すれば被爆体験を話す人はいなくなる。は2人の息子にやられたらやり返せといって育てたが、子供の喧嘩ならまだしも、地球規模で現在のように、やられたらやり返す、やられる前にやることをしていたらどうなるのだろうか。

私はこれからも機会が与えられればいつでもどこでも私自身の被爆体験と破壊力以外の核兵器と通常兵器の違いとまじえて「戦争は最大の環境破壊、限りある資源の無駄づかい」というテーマでお話させていただきたいと思う。

2007年05月14日

広島市平和記念公園の桜

浜井道子

平和公園は市内中心部にある桜の名所のひとつです。今日(2007/03/31)も大勢の人々がベンチに腰掛たり散策して、2~3分咲きの桜を楽しんでいました。

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平和公園がある広島市中島町はほぼ爆心地の直下にあります。原爆投下直後には数多くの被爆して亡くなられた人々を葬った地でもあります。青いビニールシートで場所取りをしている人を見ると悲しくなります。どうぞ静かに心ならずも亡くなられた人々に思いを寄せてください。
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しづかに歩いてつかぁさい       水野潤一
 
今は、新らしげな建物のえっと見える
この川辺りの町全部が
昔は
大けい一つの墓場でしたけえ

今は車のえっと走っとる
この道の下で
うじ虫の湧いて死んで行った
母を焼いた思い出につき刺されて
息子がひていじゅう      (ひていじゅう=一日中)
つくなんで おりますけえ   (つくなんで=うずくまって)

ほいじゃけえ

今、広島を歩く人々よ
どうぞ いついきしづかァに
こころして歩いて つかァさい
それにまだ病院にゃあ
えっと火傷を負うた人も
寝とってじゃし

今も急にどこかで
指のいがんだ ふうのわりい人や
黒髪で いなげな頬のひきつりを
かくしとった人が
死んで行きよるかもしれんのじゃけえ

ほいじゃけえ

広島を訪れる人々よ
この町を歩くときにゃァ
どうぞ いついきしづかァに
こころして
歩いて行ってつかァさいや・・・
のう・・・

スエーデンから飛んできた千羽鶴

世界各地で平和の種をまき続けているHIROSHIMA SPEAKS OUTのメンバーで、被爆者の村上啓子が、スウェーデンでも一粒の種をまかれ、その種が芽を出しました。

2006年1月スウェーデンの北方、ルーレオ大学で村上の証言を聞いた日本語学科の学生81名イギリス人の家族が、自分たちに何ができるかを話し合い、同大学の日本語教師、岡村智子先生の指導のもと、千羽鶴を折って、HSOに送ってくださいました。
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この千羽鶴はHSOのメンバーの手によって、原爆症とされている白血病からの回復を祈りながら12歳で亡くなった佐々木禎子さんを記念して建てられた「原爆の子の像」(広島市平和記念公園内)に捧げられました。(2006年9月24日)
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2007年05月13日

「自己責任」を問う

浜井道子

今日本国内では、政治家を初め多くの国民の間で、人質になった三人に対する批判が横行しています。またマスコミなどで双方の意見を戦わせる形で批判するなら民主主義の国として当たり前のことですが、偏った意見だけを報道するようなマスコミもありました。それに加え、非難中傷する匿名のメール、FAX、電話が家族の元や、本人のホームページに殺到したり、あたかも今回の人質事件が自作自演であったかのような今井さんが書いたとされる偽のメールまで流布されました。

自分の命を顧みず、自ら危険なところに入り、人のために働こうとする行為は、賞賛されるべきものであって、決して非難されるべきものではありません。真に非難されるべきは人質をとって自分たちの主張を通そうとした武装グループの行為であり、そうぜざるを得ない状況にイラクの人々を追い詰めてしまったアメリカの行為なのです。(日本もそれに追従しています)

危険だから行くなと言ったのに、勝手に行ったのだから自分が悪いという考えは、自分たちだけ安全なところに身をおいておけば、世界のどこでどんなことが起こっていようと関係ないというのと同じことです。その発想からはクリミア戦争で負傷兵を敵味方なく看護したナイチンゲールは非難される人となり、今も世界の紛争地帯で、危険を顧みず活動している「国境なき医師団」や「AMDA」は勝手に行ったから、何かあっても自己責任だと非難されなくてはなりません。

また実際に戦場で何が起こっているのかを、自らの身を危険にさらしながらも世界に訴え続けようというジャーナリスト精神がなければ、私達は戦場で何が起こっているかの真実を知ることはできません。今までベトナム戦争や旧ユーゴスラビアでの戦争でも、彼らの報道のお陰で私達は戦争のもたらす惨禍と権力者の行為を知ることができました。私達が広島から訴えようとしていることも、まさにそのことです。戦争の現実を直視することなく、戦争を語ることはできません。

アメリカのパウエル国務長官も「よりよい目的のために自ら危険をおかした日本人がいたことを私はうれしく思う。三人の行為を日本人は誇りに思うべきです」と述べています。またフランスのルモンド紙は「事件は、外国まで人助けに行こうという世代が日本に育っていることを世界に示した」として、「無謀で無責任」と批判されている元人質を弁護しています。

私達は自分たちにできないような彼らの勇気ある行動を誇りに思い、安全なところに身を置く者として、後方から彼らをバックアップしなければならない立場にいるのではないでしょうか?  

原爆の図 丸木美術館

浜井道子

丸木位里・俊夫妻の描いた作品を展示する丸木美術館には、開館当初から一度は訪れてみたいと思っていた。この夏(2006年)、運よく友人二人と訪れる機会を得ることができた。これまでも広島市で行われた展覧会で、数部の作品を見たことはあるが、15部すべてを見たのは今回がはじめてである。

丸木位里氏は原爆投下後3日目に、俊氏は一週間後に広島に入ったということだ。そこに描かれている被爆者は何百人もいる。そのひとりひとりがあたかも実存したひとりひとりを写実したかのようにリアルである。その中のたったひとりを見るだけでも、心が耐えがたく重くなり、その形相から痛みが、苦しみが見ている私に突き刺さってくる。

そこに描かれてかれているたったひとりの被爆者を見ただけで、このような重い気持ちにさせるこれらの絵を、一人ひとりデッサンし、あのような大きなキャンバスに何百人と描いていく時、丸木夫妻はどれほどの勇気を必要としたのだろうか・・・。まず私の脳裏をかすめたのはそんな疑問だった。それは重苦しすぎる作業であったに違いない。

それでも夫妻の思いを受け止めたいと、丁寧に作品を見続けていくうちに、ふと、これらの絵に描かれている、灼熱に焼かれ、放射能に犯されながら無念の思いで亡くなっていった人々の息遣いのようなものを感じた。もしかしたら丸木夫妻は凄まじい形相で生を終えようとしている人びとをキャンバスに描くことで、彼らに生を与え、語らしめているのではないか。

そこにいる被爆者ひとりひとりが広島・長崎で無言のうちに亡くなられた被爆者の代弁者なのである。丸木美術館では被爆者の声なき声が聞こえてきた。

ノーベル平和賞受賞者広島へ

人間の英知でこそ平和は実現される

浜井道子

去る11月1~2日、ノーベル平和賞受賞者3人を招き、広島市中区アステールプラザで、広島国際平和会議2006が開催された。招かれたのは、現在インドに亡命中のチベット仏教最高指導者ダライ・ラマ法王、南アフリカ共和国でアパルトヘイト(人種隔離)廃絶運動の中心となられたデズモンド・ムピロ・ツツ大主教、北アイルランドでカトリック教徒とプロテスタント教徒との和解に尽力されたベティ・ウィリアムズさんの3人だ。

会議は第1セッションでダライ・ラマ法王が「普遍的責任とは何か」と題して、講演された。第2セッションでベティ・ウィリアムズさんが「子どもたちへの思いやり」と題して、第3セッションでツツ大主教が「和解、そして平和構築」と題してそれぞれ基調演説に臨んだ。第4セッションで全体のまとめがなされた。

私が参加したのは、第1セッションと第2セッション、そして第4の全体会議だった。しかし、幸いにも会議の後、すべてのセッションのDVDを見る機会を得て、それぞれの基調講演をゆっくり拝聴させていただいた。

すべての講演は、世界が抱える難しい問題に対し、示唆に富んだものであった。中でも私の心に最も響いてきたのは、ツツ大主教の言葉であった。「人間と人間であっても、国と国であっても、加害者が罪を認め、謝り、そして被害者がそれを許すというだけでは、和解と平和の構築は達成することはできない。一時的には和解できるかもしれない。しかし必ず過去を繰り返すことになる。加害者は謝った上で、自分が行ったことに対する償いをしなければならない」というものだ。

それは日本と中国・韓国の間で繰り返される「過去を思い出せ!」「もう何度も謝った!」という論争に1つの解決の糸口を見いだしてくれたように思えた。第2次世界大戦で日本は、アジアに大変大きな被害をもたらした。そのことは、誰でも認めるところである。そして政府も村山談話を踏襲するかたちで、謝罪を繰り返している。中には政府見解とはずれたことを言っては職を辞している政治家もいるが、表向きは加害者としての罪を認め、謝罪している。そして被害者側の政府も日本の過去を、「軍国主義がもたらしたもの」として、許すといった内容の発言をしている。しかしそこから先の償いという点ではどうだろうか。日本人は被害を与えた人びとに、本当の補償をしてきたであろうか。

ツツ大主教は非常に分かりやすい例を用いて説明された。「もしある人がペンを盗んだとしよう。『ごめんなさい。もうしません』と謝り、『いいよ』と許される。しかしもし盗んだペンを返さなければ、あるいは弁償しなければ、被害者は心から加害者を許せるだろうか」と。

南アフリカではアパルトヘイト廃止後、それまでの厳しい制度のもと肉体的・経済的そして精神的にも差別され、抑圧を受けてきた黒人たちは、為政者であった白人たちに対し、「真実和解委員会」を設け、厳しく過去を断罪した。しかしそれは決して加害者に対する報復ではなかった。彼の言葉を借りれば、「報復の司法」ではなく、「回復の司法」だったのである。

「私たちはあなた方を許します。でも罪は追求します。そしてその償いはしてください」それが南アフリカで選択した道であり、アパルトヘイト廃止後、社会の混乱が予想されていたにもかかわらず、今にいたるまで大きな混乱は起きていない理由だと言うのだ。

被害を受けたものが報復すると、そこには新たな憎しみが生まれ、報復が繰り返される。それはイスラエル・パレスチナ、アフガニスタン、旧ユーゴスラビア……世界のどこでも起きている。つまり平和を構築するためには、報復ではなく、過去から目をそらさず、それを誠実に受け止めて反省し、その償いをすること以外に真の和解はないのだということだ。

そろそろ日本人をはじめ、世界の人びとは人間に与えられた英知を持って、近隣の諸国や異教徒と共存していく道を考えるべき時代にきているのではないだろうか。

ダライ・ラマ法王は言われた。「人間にはほかの生き物にはない知性が備わっている。知性の使い方によっては、環境を破壊し、人間の殺りくにつながる。しかし同じ英知を使って紛争を終わらせ、飢えをなくすこともできる」と。