2007年05月13日

ノーベル平和賞受賞者広島へ

人間の英知でこそ平和は実現される

浜井道子

去る11月1~2日、ノーベル平和賞受賞者3人を招き、広島市中区アステールプラザで、広島国際平和会議2006が開催された。招かれたのは、現在インドに亡命中のチベット仏教最高指導者ダライ・ラマ法王、南アフリカ共和国でアパルトヘイト(人種隔離)廃絶運動の中心となられたデズモンド・ムピロ・ツツ大主教、北アイルランドでカトリック教徒とプロテスタント教徒との和解に尽力されたベティ・ウィリアムズさんの3人だ。

会議は第1セッションでダライ・ラマ法王が「普遍的責任とは何か」と題して、講演された。第2セッションでベティ・ウィリアムズさんが「子どもたちへの思いやり」と題して、第3セッションでツツ大主教が「和解、そして平和構築」と題してそれぞれ基調演説に臨んだ。第4セッションで全体のまとめがなされた。

私が参加したのは、第1セッションと第2セッション、そして第4の全体会議だった。しかし、幸いにも会議の後、すべてのセッションのDVDを見る機会を得て、それぞれの基調講演をゆっくり拝聴させていただいた。

すべての講演は、世界が抱える難しい問題に対し、示唆に富んだものであった。中でも私の心に最も響いてきたのは、ツツ大主教の言葉であった。「人間と人間であっても、国と国であっても、加害者が罪を認め、謝り、そして被害者がそれを許すというだけでは、和解と平和の構築は達成することはできない。一時的には和解できるかもしれない。しかし必ず過去を繰り返すことになる。加害者は謝った上で、自分が行ったことに対する償いをしなければならない」というものだ。

それは日本と中国・韓国の間で繰り返される「過去を思い出せ!」「もう何度も謝った!」という論争に1つの解決の糸口を見いだしてくれたように思えた。第2次世界大戦で日本は、アジアに大変大きな被害をもたらした。そのことは、誰でも認めるところである。そして政府も村山談話を踏襲するかたちで、謝罪を繰り返している。中には政府見解とはずれたことを言っては職を辞している政治家もいるが、表向きは加害者としての罪を認め、謝罪している。そして被害者側の政府も日本の過去を、「軍国主義がもたらしたもの」として、許すといった内容の発言をしている。しかしそこから先の償いという点ではどうだろうか。日本人は被害を与えた人びとに、本当の補償をしてきたであろうか。

ツツ大主教は非常に分かりやすい例を用いて説明された。「もしある人がペンを盗んだとしよう。『ごめんなさい。もうしません』と謝り、『いいよ』と許される。しかしもし盗んだペンを返さなければ、あるいは弁償しなければ、被害者は心から加害者を許せるだろうか」と。

南アフリカではアパルトヘイト廃止後、それまでの厳しい制度のもと肉体的・経済的そして精神的にも差別され、抑圧を受けてきた黒人たちは、為政者であった白人たちに対し、「真実和解委員会」を設け、厳しく過去を断罪した。しかしそれは決して加害者に対する報復ではなかった。彼の言葉を借りれば、「報復の司法」ではなく、「回復の司法」だったのである。

「私たちはあなた方を許します。でも罪は追求します。そしてその償いはしてください」それが南アフリカで選択した道であり、アパルトヘイト廃止後、社会の混乱が予想されていたにもかかわらず、今にいたるまで大きな混乱は起きていない理由だと言うのだ。

被害を受けたものが報復すると、そこには新たな憎しみが生まれ、報復が繰り返される。それはイスラエル・パレスチナ、アフガニスタン、旧ユーゴスラビア……世界のどこでも起きている。つまり平和を構築するためには、報復ではなく、過去から目をそらさず、それを誠実に受け止めて反省し、その償いをすること以外に真の和解はないのだということだ。

そろそろ日本人をはじめ、世界の人びとは人間に与えられた英知を持って、近隣の諸国や異教徒と共存していく道を考えるべき時代にきているのではないだろうか。

ダライ・ラマ法王は言われた。「人間にはほかの生き物にはない知性が備わっている。知性の使い方によっては、環境を破壊し、人間の殺りくにつながる。しかし同じ英知を使って紛争を終わらせ、飢えをなくすこともできる」と。