2008年10月03日

被爆者スウェーデンで証言活動

HIROSHIMA SPEAKS OUTのメンバーでもある被爆者の村上啓子は、今年もスウェーデンで精力的にヒロシマを伝える活動を繰り広げた。その様子を現地の新聞が取材している。

Goteborg 新聞(08年9月18日の記事)

広島の生存者村上啓子さんが、いかに広島の原爆を生き延びたかの話は言語に絶するものではあったが、同時に彼女の生き方はインスピレーションに富むものでもあった。
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本当に経験した本人から話が聴けたのは大変素晴らしかったと最前列に座っていたマリ・スペンドロップさんは語る。
水曜日、バッカ・クルツールハイムでは水を打ったような静けさの中、集まった20人ほどの熱心な聴講者が村上啓子さんの起伏にとんだ人生の物語に聞きふけった。
1945年8月6日、当時8歳の彼女は爆心地からわずか1.7キロ離れた広島の自宅にいた。友人であるヨルデイス・アンダーソンの通訳で啓子さんは家族全員が奇跡的に原爆を生き延びたこと、しかし生涯心と身体にキズが残った模様を語った。
それほどの悲惨を経験したにもかかわらず、彼女の力強さを見てとても感動したと語るマリさんに夫のカールさんもうなずく。
そういう体験をしたことのない我々には信じがたいと彼は付け加えた。
聴衆が心を打たれたのはもちろんのことであったが、啓子さんが自分の経験を語れるようになるまでは長い月日がかかった。
ヨルデイス・アンダーソンさんに18年前に会うまでは自分の経験は人には絶対に語りたくなかったと啓子さんは続ける。しかしそのうちに自分には経験を語らなければならないという義務感と重要な使命があるのだと気づいた。広島の生存者は年々数少なくなっており、人々、特に若い人々に経験をきいてもらって世界平和のために力を注いでもらいたいのですと啓子さんは結んだ。
(訳)ルンド・恵

2008年06月09日

アメリカの大学生たちが「原爆」を学ぶために来日

広島~長崎で、彼ら熱心に質問しノートにとる

 2008年5月24日から6月2日までの予定で、アメリカ、ニューヨーク州のColgate大学から、教授2名と学生29名が広島・長崎で平和学習をするために来日した。広島でのスケジュールなどはHIROSHIMA SPEAKS OUTがアレンジした。

 彼らは、来日前に、井伏鱒二の「黒い雨」や大江健三郎の「ヒロシマノート」を読み、おおまかな原爆投下の実相は、学習しているということだった。
 そこで今回は実際の被爆者の話を中心に据えつつ、核兵器の恐怖は過去の出来事ではなく、現在の恐怖であることを学んでもらうようなスケジュールにした。

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資料館では熱心にボランティアの説明を聞いていた
 特に核保有国であるアメリカの若者たちである。将来、アメリカ社会の中心的な役割を果たすであろう彼らに、核兵器を持つことで、国民の安全や平和を守ることができるのかどうか、を考える機会にしてもらいたいと思った。

 24日の午前中、原爆資料館での学習と広島市平和文化センター理事長のスティーブ・リーパー氏による講演を聞いた。

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 リーパー理事長は、まず現在の核兵器の拡散状況を説明し、拡散を防止するために結ばれているNPT条約の不平等さ、抜け道について話された。また核兵器はなぜ廃絶されるべきなのか、どのようなプロセスで廃絶が可能か、広島市はどのような努力をしているかなどを、論理的に分かりやすく話された。

 学生たちは、話の一字一句を聞き漏らすまいと熱心にノートを取っていた。
 講演後の質疑応答でも、具体的な質問が次々と出された。質問に答える中で、リーパー氏は核の平和利用について、個人の立場としてと前置きしつつ、
 「廃棄物処理の難しさ、危険性などを考慮し、太陽エネルギーなどの代替エネルギーに変換していくべきた」
 と述べられた。また化学兵器、生物兵器に比べ、核兵器は開発に広大な実験装置が必要で、現在のように地球を周回する衛星から監視できる時代では、施設の発見はたやすい。また放射性物質の管理も、IAEAの権限を強化をするなど国際管理体制を構築することで、徹底されやすいと話されていた。

 午後は2人の被爆者の体験を聞く機会を持った。具体的に家族、友人らを失くした悲しみや自身が被爆によって、長く苦しみを受けた話を直接被爆者から聞き、アメリカの学生たちは非常に衝撃を受けたと感想を述べている。

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被爆者の話を聞く来日した学生たち         
 その後、彼らが自分たちで折ってきた折鶴を「原爆の子の像」に捧げた。

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自分たちが折った千羽鶴を「原爆の子」の像に捧げた 

 翌日25日は、広島女学院大学に出かけ、同大学のクライン教授から日米の文化比較などの話を聞き、英文科の学生たちとランチを食べたり、交流のひとときを持った。

 そして27日に宮島を見学、28日に岩国の米軍基地訪問を経て長崎へと移動して行った。 

30名近い学生だったので、移動などに手間取るかもしれないと心配していたが、その懸念はすぐ払拭された。彼らは20歳前後の若者だったが、まじめで時間には決して遅れることなく、話を聞く時も誰も私語をすることもなかった。どのレクチャーでも熱心にノートを取り、質問も多く出た。

 Colgate大学では、今後もこのようなツアーを続けるということで、大いに楽しみにしている。

2007年10月10日

HSOメンバー村上啓子パネラーに

 株式会社Human Resources Institute主催のソーシャルパワーセッションの「第3回 ”ヒロシマ”から考えたい!語り継ぎたい!”いのち”の尊さ」にパネラーとしてHSOメンバーの村上啓子が招かれることになった。

日時:2007年11月10日(土)13:30~17:30(13:00開場)
場所:ビジョンハウス表参道 (東京原宿HRIオフィス)
詳細は以下URLにてご覧下さい。
 http://www.hri-japan.co.jp/pre/sps-top.html

村上啓子から

原宿は若者が行き交う賑やかな街ですが、辻を曲がれば閑静な路地もあるんです。ビルだけど木の家と言うほうが相応しい佇まいのビジョンハウス。
 その主が株式会社HRインスティテュート。経営や人材育成のコンサルティングにとどまらず、社会に窓を開ける企画を推し進めているユニークな企業体です。
 会社役員・稲増美佳子さんとの出会いから、HSOメンバーである私が伺うことになりました。被爆体験はもとより国の内外で見聞したことを語り、次世代に継承してもらいたいことなども伝えようと考えています。参加者とのセッションも楽しみです。

 過日、スタッフの藤森啓子さんに会いました。彼女は、準備の手始めに井上恭介・著「ヒロシマ 壁に残された伝言」(集英社新書)を読まれました。ブログに感想も載せてくださいました。
http://cozy.vision-blog.com/?day=20071005

2007年10月08日

江戸川平和コンサートのお知らせ

音楽劇「禎子と千羽鶴」上演

脚本:キャサリン・S・ミラー
脚色・翻訳・演出:登坂倫子
音楽:芳賀一之

日時:11月18日(日)PM1時開場
会場:葛西区民館4階ホール
交通:東京メトロ「葛西駅」徒歩5分
主催:親江会(江戸川区在住被爆者の会)
後援:江戸川区 区教育委員会
   江戸川原爆犠牲者追悼碑の会
入場無料

2007年08月13日

鶴の大群がヒロシマへ

村上啓子

 「ヒロシマを世界へ発信」がHSOのモットーです。同じ思いで活動している人たちや平和を築こうとして学習している人たちへエールを送ることも積極的に関わっています。

 ① 2007年6月19日、マリンバ奏者の古徳景子さんとHSOメンバーの村上啓子はアルゼンチン、ブエノスアイレス日本人学校を訪問しました。飛行機の到着が遅くなってメールで約束してあった時間に大幅に遅れたのですが、快くお迎えくださいました。明るく活発な生徒さんたちにヒロシマを語り、戦争や核兵器について対話をしました。生徒さんの反応が敏感なのは異国に住んでいるからでしょうか。
 生徒さんたちから羽にサインをした折鶴を託されました。

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(ブエノスアイレス日本人学校で広島を語る)

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(みなさんと一緒に)

 ② 2007年6月20日、景子さんと村上啓子は、ブエノスアイレスの打楽器奏者たちと交流しました。なかでも景子さん共演者、ガブリエルさんとヘクトルさんは景子さんの曲「学」が、歴史から学ぶべしと呼びかけていることに共感して、大勢の仲間に呼びかけて集会やコンサートを催してくださいました。折鶴の学習会もしました。みんなで折った鶴も託されました。

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(折鶴の完成に歓声!)

 ③ 2007年7月10日、東京都世田谷区砧南小学校で、元宝塚歌劇団員だったノリコさんによる「サダコと千羽鶴」の朗読と、HSOメンバー村上啓子が被爆証言をしました。終わった後、生徒さんたちは礼儀正しく順番を待ってノリコさんや村上に「戦争を失くすのに何が一番大切ですか」「はだしのゲンのお父さんは、戦争をしてはいけないと正しいことを言ったのに、何故、非国民と言われたのですか」「被爆者と握手したい」などと鋭い質問や、優しい言葉をかけて下さいました。  

 そして・・・一週間後、生徒さんたちが折った鶴が大きな段ボールにイッパイ、届きました。それは生徒さんたちの自然な気持ちの高ぶりから折った鶴で、先生や父母の干渉は全くなかったそうです。ちょっと、傷ついた鶴も居たのですが、手当てをして、全部、ヒロシマに届けることにしました。

 村上は、せっせと糸でつなぎました。取材に来られていた広島テレビの渡辺由恵ディレクターもお手伝いしてくださいました。

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(1311羽の鶴をつなげる)

 ④ 2007年7月30日、ミシガン州カラマズー市から来られた二人の高校生に手伝ってもらって、たくさんの折鶴を「原爆の子の像」に捧げました。その夕刻、広島テレビの「テレビ宣言」に、その様子が放送されました。

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(原爆の子の像の前にて)

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(託された鶴を捧げる)

 注:ミシガン州カラマズー市は1963年より静岡県沼津市との姉妹都市になっていて、隔年に相互訪問を繰返しておられます。2005年から訪日された人たちの中に希望者があればヒロシマ学習をするプログラムを創設されました。HSOは、初回から学習のお手伝いをしています。勿論、宮島への案内もです。

2007年08月12日

62年目の原爆の日

2007年8月6日
浜井道子

今年も一年で最も暑いこの季節に、原爆で亡くなられた方を悼み平和を願う式典が広島市平和記念公園で開催された。
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(式典のあとも祈る人々の列がたえることはなかった)

午前8時15分には式典会場だけではなく、町中で、電車の中で、家々で人々は犠牲者の冥福と平和を祈り黙祷を捧げた。
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(核兵器反対を訴えて集会をする人々)

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(被爆ピアノも平和を訴えていた)

式典の後、市内各所、公園内では様々なイベントが開催され、夕闇に包まれる時間に行われる灯篭流しで、長い一日は終わりを迎えた。
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(灯篭に平和への思いを書き込み黙祷を捧げる人々)

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(色とりどりの灯篭が流され、広島の夜はふけていった)

2007年05月29日

朗読劇版 「禎子と千羽鶴」~A Thousand Cranes ~再演決定!

日時 : 6月3日日曜日6時半開演
場所 : 鎌田区民センター第一会議室(東京都世田谷区鎌田3-35-1 → 地図) close map [x]
出演 : ノリコ、小谷真一、山崎陽子、百瀬百華、登坂俊晴、登坂敬晴、黒澤柚菜、佐藤綾花、竹内ひまわり
音楽 : 芳賀一之
チケット : 大人1,000円、子供 500円
Red Cranes が続けてきた「禎子と千羽鶴」が今回は世田谷区のNPO、SAPさんのチャリティーコンサートにて再演が決まりました。素晴らしいピアニストの方のコンサートとの競演です。

今回は4人のアクターと世田谷区の5人の子供達が出演します。そして若きミュージシャン芳賀一之くんがオリジナルの伴奏を付けてくれます。

この公演の収益金は全て、世田谷区の放置自転車をアジアの恵まれない地域へ輸送するための費用となります。客席数に限りがあり、満席の場合は立ち見の可能性もございますがご了承ください。お早めにご予約いただければ、お席を確保できるように努力させていただきます。

皆様、ぜひ、これを機会に地域との演劇コラボレーションを楽しんでください。
⇒ お席のご予約はこちら

2007年05月25日

Marimbistas Festival Mexico in Chapas 2007/4/25~29

マリンバを通じて「ヒロシマ」を伝え続けておられる古徳景子さんからメッセージが届きました。古徳さんはHSOのメンバーである村上啓子とともに日本国内外で村上の被爆証言を交えながら演奏活動をされています。
古徳景子ホームページ
http://kotokukeiko.com/
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マリンバ奏者の古徳景子です。

いかがお過ごしでしょうか、お伺いいたします。

私はメキシコへの演奏旅行から戻って参りました。
それから、はや3週間経ちましたが、いまだ余韻から覚めないでおります。

メキシコはマリンバの聖地でした。今回、マリンバ・フェスティバルが開催されましたチアパスでは、マリンバミュージアム、マリンバレストラン、マリンバ公園と、何でもかでもマリンバと名付けてあります。当然ながら、メキシカンマリンバの音色が何処からでも聞こえてくるのです。

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4月25日から29日まで開催されましたマリンバ・フェスティバルには、世界各地から高名なマリンバ奏者が7人招聘されていました。そして、名誉なことに、私がフェスティバル最終日の大トリを務めさせて頂きました。

人類は歴史から学ぶべし、ヒロシマを繰返すな」との思いをこめて、私が作曲した「学GAKU」の演奏の前に、被爆者・村上啓子氏に「私のヒロシマ」を語っていただきました。
通常のコンサートでは考えられない破天荒な試みでしたが、聴衆の方々は理解して下さったようで、曲が終わると一瞬の静寂の後、惜しみの無い拍手が沸きあがり、Standing Ovation につつまれました。会場は1200人の座席に加え、通路にも人が溢れておりました。
何と言いましても私自身がとても気持ちよく演奏出来たことに満足しております。

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「今回のフェスティバルでは、メキシコの人々の音楽の楽しみ方を学びまして、私の感性にプラスになったと実感させられました。
これも、サポートして下さる方々のお蔭と感謝の気持ちでいっぱいです。

これらのことは、後日 ホームページに詳しく記載しますのでご覧くださいますよう、ご案内申し上げます。
余談ですが「タコス」は最高でした!

6月17日から7月の始め頃まで、アルゼンチンで開催される打楽器フェスティバルに招聘されております。
心身ともにコンディションを整えて存分の演奏をするつもりです。
変わらず、ご支援のほど、よろしくお願い申し上げます。


                    古徳景子


2007年05月14日

広島市平和記念公園の桜

浜井道子

平和公園は市内中心部にある桜の名所のひとつです。今日(2007/03/31)も大勢の人々がベンチに腰掛たり散策して、2~3分咲きの桜を楽しんでいました。

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平和公園がある広島市中島町はほぼ爆心地の直下にあります。原爆投下直後には数多くの被爆して亡くなられた人々を葬った地でもあります。青いビニールシートで場所取りをしている人を見ると悲しくなります。どうぞ静かに心ならずも亡くなられた人々に思いを寄せてください。
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しづかに歩いてつかぁさい       水野潤一
 
今は、新らしげな建物のえっと見える
この川辺りの町全部が
昔は
大けい一つの墓場でしたけえ

今は車のえっと走っとる
この道の下で
うじ虫の湧いて死んで行った
母を焼いた思い出につき刺されて
息子がひていじゅう      (ひていじゅう=一日中)
つくなんで おりますけえ   (つくなんで=うずくまって)

ほいじゃけえ

今、広島を歩く人々よ
どうぞ いついきしづかァに
こころして歩いて つかァさい
それにまだ病院にゃあ
えっと火傷を負うた人も
寝とってじゃし

今も急にどこかで
指のいがんだ ふうのわりい人や
黒髪で いなげな頬のひきつりを
かくしとった人が
死んで行きよるかもしれんのじゃけえ

ほいじゃけえ

広島を訪れる人々よ
この町を歩くときにゃァ
どうぞ いついきしづかァに
こころして
歩いて行ってつかァさいや・・・
のう・・・

スエーデンから飛んできた千羽鶴

世界各地で平和の種をまき続けているHIROSHIMA SPEAKS OUTのメンバーで、被爆者の村上啓子が、スウェーデンでも一粒の種をまかれ、その種が芽を出しました。

2006年1月スウェーデンの北方、ルーレオ大学で村上の証言を聞いた日本語学科の学生81名イギリス人の家族が、自分たちに何ができるかを話し合い、同大学の日本語教師、岡村智子先生の指導のもと、千羽鶴を折って、HSOに送ってくださいました。
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この千羽鶴はHSOのメンバーの手によって、原爆症とされている白血病からの回復を祈りながら12歳で亡くなった佐々木禎子さんを記念して建てられた「原爆の子の像」(広島市平和記念公園内)に捧げられました。(2006年9月24日)
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